2010年6月4日金曜日

イベリコ豚の幽庵焼きは日本料理か?

私は原理主義者ではありませんし、偉そうに○○料理の定義を述べるためにこのエントリーを始めたわけでもありません。

飲食店とお客との関係形成の中心に料理が存在することを考えれば、
  • 作り手はその料理をどういう意図で作ったのか
  • それが食べ手に明確に伝わるよう加工・調理されているか
  • あるいは、その意図をきちんと食べ手に伝えているか
などが重要なのではないか、というエントリーです。

多くの人は、自分が言いたいことをストレートに口にできればそれに越したことは無いと思っていると思いますが、そうはしません(人間関係を崩す引き金になる場合がありますし・・・)。ですが、自分と正反対の意見に対してウンウンと相槌を打つ時の自分に対するあの気まずさは堪りませんし、話をしている相手も「こいつ、適当に相槌打っているだけだな」と薄々勘づいているはず。場合によっては、相手は「こいつのことは信用できないな」とさえ思うかもしれません。ところが、ある意味でレストランではそうしたことが平然とまかり通っている空間のような気がします(何を食べても何を聞いても「美味しいです」としか言わないお客の多いこと・・・)。

レストランのダイニングにおいて、料理は店と客との関係形成の中心に位置するものであり、かつ、来店客がリピートを促すものとしてコミュニケーションが重要であるという前提に立てば、お店とお客の間で料理に関する腹を割った適切なコミュニケーションがなされないのは致命的であると言えるでしょう。「口に出さずとも分かって欲しい」、「分かる人だけ分かれば良い」、「受け取り方は食べ手の自由」というのはお店の怠慢やコミュニケーション能力不足に他ならないと思います。

イベリコ豚という食材で幽庵焼きにする必然性を食べ手に説明したり、あるいは幽庵焼きと言いながら実はペーストは洋食材で作り、盛り付けを和風にしたものだ・・・などの情報を予め伝える必要があると思うのです。この料理の名前だけならどっち付かずの印象は否めませんし、必ずしもお客に期待を抱かせるものでは無い場合もあるでしょう。

お客に提供する前にそういうメッセージを伝えないことは、食べ手と料理人とのコミュニケーションは成り立たないと思うのです。まるでそれぞれ勝手に独り言を言っているだけ。それで「思ったような反応が返ってこない」、「わかってくれない」とか「食べログの評価が低い」と嘆いても、それは後の祭りではないでしょうか?

ソーシャルメディアが生活の中心に位置するようになった現在、自分から心を開き、適切な表現でメッセージを出し、それに対する反応を正面から受け止める姿勢を見せなければ口コミによる良い効果など得られるはずが無いと思います。

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